2007/12/31

なんとも早、1年経過であります。

2007年12月31日であります。あと8時間とちょっとで、2007年が終わりになっちゃう。とほほ、今じゃあまり使わなくなっちゃったけど、なんとも気の入らない状況をうまく表現する擬態語?ですかね。

結局今年何ができたのかといえば、Xoopsでサイトを創った。phpが少しは判るようになった。物販をネットでやるのはあきらかに限界がある、某紳士服チェーンに新しい商品売り込みに成功した。などなど、数え上げるとそれなりに成果があるような気にはなりますが、なに実態はぐーたらを決め込んでいて、なんかほかにないか、なんかほかにないか、とやたら走り回っていただけなんだな、というのが実感なのです。

実際今一番やりたくないことはインターネットマーケティングといわれる一連の作業でありました、ページをつくり、サーバーにアップし、PPCへ金を使い、メルマガをせっせと創って配信してみて、何の手ごたえも無いからといって、またページを作り直し、PPCのコメントを替え、メルマガの頻度を上げ、ようやく4ヶ月か5ヶ月していくらかの稼ぎになる、

これってもうほとんど難民じゃないですか!

そもそも2007年にはインターネットマーケティング企業の成長株として、上場のうわさかなんか出始めて、今度の正月あたりは暑さ寒さも彼岸までみたいな、何を言ってるか自分でもわからなくなるほどに人生最高の時期を迎えるつもりではあったのですが・・・・・・・

人生のサイクルがあることに気付いてまして、およぼ7年サイクルで上下しているらしい、というのが僕の実感と僕のヒストリーが証明するところであります。で順に並べてみると、
7歳まで: こりゃぁもう親掛かりもいいとこ。本人は何もできないから、世間も狭いし、自宅の周りをうろうろして近所の連中と一緒になって走り回ってた。
今との一番の違いは、PCもWiiもないのでとにかく身体を使って、回りのガキ大将のいうなりに走りまわる、これが人生でありました。

14歳まで:まぁ中学卒業まででしょうかね、親の事業の成長もあって、狭いながらも楽しい我が家、的な兄弟姉妹仲良く5人が親の周りを衛星のごとく走り回っておりました。

高校から大学、一年浪人はしたもののまぁ順調ですよね。大学3年生で軽音楽部に入部、これが初めての人生の転機、といえるのかなぁ?それまで本読みの虫だった坊やが突然色気づいて、夜の街をうろつきまわるようになっちゃったんです。結局これって24歳まで続きました。

だから7年周期で考えるのではなく、もうちょっと長い周期で考えるのかなぁ、と迷いが生じますが、実は次のステップへの準備期間、というものを計算に入れるとやはり7年周期ぐらいになるのですよ。

だとすると21歳から次の7年に入るわけですが、ようはビジネスと人生とのかかわりという見方をすると、23から29歳までアメリカへ行ってるんです。父親の会社のレプとして、なんていうとそれなりのものになりますが、なになにToFELの点数が悪かったんで親心で遊んで来い、っていうことになったんでしょうね。

実際ニューヨーク生活をエンジョイした時期は28歳まで、29歳にはよせばいいのにアパートを替わったんです。それも世間知らずの僕らしく、ほぼ50%の家賃アップ。日本では円ドル固定相場制度が崩壊して、輸出企業はアップアップし始めた時期です。

そんなのかんけいねぇ、とばかりやりたいほうだいしほうだい、親父もかなり体力的にきてるところへ馬鹿息子のプレッシャーはかなりなもんだったんでしょうね。ほんと、ごめんなさい。

それで、ようは帰国しよその会社へ就職し、嫁さんをめっけて親父の会社へもどったのが32のときですから28歳から4年経過。35歳で親父が死亡、2-3ヵ月後に結婚、42歳までに子供二人そして43歳で社長になりました。すなわち6周り目に頂点に達したわけであります。

ただここで勘違いに気付かなかったんです。社長になってこれから頂点、とそのときには考えていた節があります。でも違うんですね、なぜか?実力が伴わなかった。だから当然地位に見合っていない。したがって落ちるばかり、というわけです。

次の節目は49歳からと言う計算になりますが、46歳で合併話に乗って年商が倍の会社の社長になりました。その後3年は地獄の苦しみ。すなわち身から出た錆でありまして、2年間の名古屋暮らし、さらに実権を取り上げられての冷や水生活が肩書きは社長のままに53歳になるまで続くのです。

53歳になってようやく合併騒ぎも一段落、自分から社長を降りて会長2年、そして相談役1年やって1999年56歳で退職しちゃったんです。以上で8順目が終わりました。ねっ?ちゃんと7で割り切れる。

57歳からは再生のときであります。2000年~2001年に最後っ屁が来ました。某東証2部の企業に入り込んだんですが、これも結局は時宜を得ず、ホッポリ出されついに人生最悪の2年間を迎えることになりました。まさに60歳の年、憎んでも余りある餓鬼に詐欺されて全財産を失い、半分とりかえしたものの、以後財政的にはまったくなかず飛ばずの状況です。

でも捨てる神あれば拾う神ありで、去年ウィキバンクを立ち上げて、一つの希望をもって仕事ができている点には大変感謝しているのです。さて7年周期の話です。

したがって、現在は第9周目の7年に入って2年経過なのですが、その核はウィキバンクなんですね。この9周目が過去のどの周回に匹敵するのか?これがよくわからない。たとえば頂点から順番に落ちていく、と仮定すると6順目43歳からの7年間をピークとすると28歳からの7年間を9周回に当てはめてこれからは心の平和を作るだけ、の生活なのかな。

でももうそんなことは考えずに、本当の意味で人生をつくるために自分で考えて行動して、実現していく、それができる経験と年齢になったんだ、と考えるほうが正しいんでしょうね。いやぁ人生ってほんとおもしろい・・・・・・

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